1998年冬、私はギターとバッグパックを抱え、インドを旅していました。十数時間も寝台車に揺られ、ふと目を覚ますとそこは国内最大の都市・コルカタにある終着駅ホーム。
下車のために身支度をしていたら、3〜4歳ぐらいのやせ細った幼い男の子と、その小さな手を握りしめた6〜7歳ぐらいの同じくやせ細った女の子が急ぎ足で私のいる寝台車両に入ってきて、既に立ち去った乗客らが残したゴミを漁り始めました。
裸足でボロボロの服をまとった彼らが路上生活者であることは誰の目にも明らかでしたが、未だ身分差別が根強く残る国なので、彼らにはゴミを漁るか不遇の身をさらして物乞いをするぐらいしか命を守る手段がありません。
インドには日本の人口に迫るほどの路上生活者が暮らしていると言われますが、彼らはそのカーストシステムの名残によって“犬以下の身分”と位置づけられ、どんなに努力しても最下層階級から這い上がることは不可能な社会に暮らしています。
ゴミを漁るという行為は途上国ではよく見られるのでとくに気にも留めなかったのですが、その時は少しだけ状況が違い、なんと突然向こうから体格の良い車掌が走ってきて大声で幼い二人を怒鳴りつけ、握りこぶしで女の子の顔を目一杯の腕力で殴ったのです。女の子は宙に舞い、壁にその小さな頭を打ち付け、そして力なく床に倒れ込みました。
私はその状況を理解するのに少しの時間が要りました。糸のようにやせ細った幼い女の子の顔を、体格の良い大人が一切の手加減なしに殴るという状況を目の当たりにした私には、その場で凍り付く以外に出来ることは何もなく、やがてふと我に返り、車掌の暴力を阻止しようと立ち上がったのです。
しかし女の子は間もなくその細い腕で自分の身体を起こし、立ち上がって再び男の子の手を握りしめ、急いで車両から飛び出していきました。大変ショックな出来事でした。
実は私が驚いたのはその酷い暴力そのものではなく、暴力を受けたその女の子が泣き出すどころか悲しい顔ひとつ見せず無表情だったということでした。つまり、こんな酷い出来事が彼らにとっては日常であるということの証なのです。
私は様々な国を旅するうちに、とくに人種差別のような果てしない問題に対して人間はとても太刀打ちできないという失望感を、このような出来事を通じて何度も味わってきました。同時に、身分差別、人種差別、男女差別、宗教対立、歴史認識問題…など、互いの“違い”を乗り越えるには“広い視野を持つこと”こそが重要であると、そう考えるようにもなりました。
世界中の人々が満遍なく人道的に正しく豊かな教育を受けられれば、多くの差別意識は解消する筈ですが、現実はそう簡単ではありません。ただ、たとえば沢山の本を読むことはその少しの助けになります。
同様に、世界の音楽にはそれぞれの文化や歴史、哲学、感情、リズム…など様々な要素が宿っており、更にそれらの楽曲を生み出した音楽家たちにまで興味が及ぶことで人々は際限なく視野を広げることができます。事実、音楽を通じて人と人とが良い関係を築いてきた歴史が世界では無数に存在し、それは誰の目にも疑いようがありません。
何より、音楽の良いところは“娯楽”であるという点であります。
2003年、私は楽器挫折者救済合宿を立ち上げ、あらゆる手段を通じて「音楽が好きでたまらない」という人たち(=Music Lovers)を世の中に増やす活動に取り組んでまいりました。中でも比較的フットワークの良い「未経験者限定ギター弾き語り体験イベント」に関しては現在、企業や自治体と連携しつつ活発に取り組んでおり、どのようなケースにおいても非常に大きな成果を上げています。
ただ、基本的には前例のない非常にユニークな取り組みであるため、依然この活動をできる限り多くの皆様に広くご理解いただくことが重要と考えています。
とても情報量の多いウェブサイトですが、お時間の許す限りぜひ細部にまでお目通しいただけたら幸いです。
Q-sai@楽器挫折者救済合宿・主宰 きりばやしひろき