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きりばやしひろき
1971年生まれ、山梨県出身。高校卒業後プロとしての活動をスタート。1994年『叫ぶ詩人の会』でメジャーデビュー。ドラマー、ギタリスト、キーボーディスト、作曲家、編曲家など音楽業の他、ラジオパーソナリティをはじめMCや文筆など多方面で活躍している。著書多数。社会の楽器演奏者人口を増やすことを目的として様々な活動に日々取り組んでおり、2011年「Quiree株式会社」を設立。代表取締役。 http://dashman.org/“音楽は国境を越える”とよく言われるが、なにげにこの言葉の真意が多くの間で履き違えられているのでは…と最近ふと思う。
なぜ…音楽は国境を越える、のか。
言語に依存せずに感情をサウンドで表現できるから。
そんなふうに捉えている人も多いのではないか。
それだけの意味合いで”音楽は国境を越える”などと言われているのだとしたら、音楽の力はそんなものか…と世の中に誤解され、音楽というものが誤って過小評価されてしまう。
音楽の力とは、そんな程度のものではない。
第二次世界大戦の終末に、現在もなお地球上で最も恐ろしいとされる爆弾を落とした国と、その爆弾によって傷ついた国との歴史を、仮にここでのたとえ話とする。
この出来事による犠牲は、失われた無数の命だけではない。 その後の両国間の関係に百年では埋まり得ない溝を残すこととなる。
やがて長い年月が過ぎ、いつしか当事者でない次世代以降の人々の手でそれを清算すべき時代がやって来る。
互いの国はその先の和平の道を必死で探ってゆくが、国民それぞれの歴史認識や個々の温度差などによって、実際そう滑らかにはいかない。
しかしながら、たとえば東アジア諸国では未だに戦時中の問題であれこれと揚げ足を取り合っているのに対し、前述した地球上で最も恐ろしいとされる爆弾を落とされた国の人々は、あの爆弾を落とした国に対して、非常に早い段階で、敵意ではなく、むしろリスペクトの念を抱いている。
これは個人の主観や偏見ではなく、たとえば音楽だけで言うならばレコードセールス、映画や舞台などの興行収益、楽器販売、雑誌や書籍などの実績によって導かれた事実である。
もしもあの国に、世界中の人々が興奮し感動するあの上質なエンターテイメントの数々が一切存在しなかったとしたら…ひょっとしたら未だに現在の対東アジア諸国との摩擦関係あるいはそれよりも複雑な状況にあったかも知れない。
これもひとつの“音楽の力”である。
たとえば映画でもスポーツでもゲームでも恋愛でもグルメでもお酒でも旅行でもペットでも…仮にあなたの好きなものならば何でもいい、それを大きな力で固く禁じられたとしても“好きだ”という感情は誰にも封じ込めることはできない。
そんな原始的な感情に宿る力は本当に計り知れない。
前例が示す通り、政府間で何をどうやっても一向に歯が立たない厄介な問題をも、こんなふうにさりげなく、ひょいと乗り越えてしまえるのだ。
話が長くなるのでコアな部分を避けてザックリ言うが、“music lovers”がこの世に大勢居ればいるほど、異国間あるいは異民族間で協調し合おうとするエネルギーが増すという理屈になる。
music lovers…勝手に意訳すると“音楽バカ”、つまり音楽を聴くことが好きでたまらないという人を、Q-saiはあらゆる手段で増やそうと日々試みている。
メディアがデジタル化し、音楽が聞き流しやすくなった昨今、音楽の力を実感するには、自らの手で楽器を愛でつつ、演奏するのが手っ取り早い。
だからこそ、効率的とは言い難い”合宿”というスタイルを我々は当初からプライオリティの高いものと位置付けている。
近年、世に知られている先輩ミュージシャンらに、馬鹿にされる覚悟で「世界の70億人のうちの1割、つまり7億人を“音楽バカ”に変えたいと本気で考えている」と個人的にぶっちゃけて話すようになった。
しかし彼らは思いのほか「それいいね!私たちにできることなら何でも力を貸すよ!」などと興奮しつつ最高に嬉しい言葉をかけてくださっている。
ミュージシャンだけでなく業界の様々な立場の方々にも、あるいは我々日本人とは随分と価値観の異なる諸外国の人々にも同じ話をするのだが、幸いほとんどが熱く賛同してくれている。
本当に心強い。
あらゆるエンターテイメントの中でも、音楽というのはたった5分で人間の価値観を変えてしまえる、とんでもない可能性を秘めている。
そんな音楽を通じ、溢れるほどの“音楽バカ”が世界をあるべき方向へ導いてゆくその果てに”音楽は国境を越える”という言葉の真意はある。
…0を1に変えること。
この相変わらずの“バカのひとつ覚え”で、Q-saiは引き続き信念を貫いて参ります。
2015年 1月 1日 きりばやしひろき