季節という概念
先日「映画:フィッシュマンズ」を観てきました。
33歳の若さで天に召された(1999年)ボーカルの佐藤伸治と共に歩んだ道を辿るドキュメンタリー映画。
自分にとってリアルなフィッシュマンズ体験としては、特にダブ的な要素を大胆に取り入れた’96年くらいからの音に惹かれたもので、その頃何度か体験したライブは本当に衝撃で圧倒的でしたし、ある日下北沢ですれ違った佐藤伸治さんの透き通った目と、本当に街を泳いでいるかのような不思議な雰囲気は今でも忘れられません。
この映画のレビュー的なものはあえて省きますが、メンバーや関係者の皆さんが語る中で「季節」という言葉が幾度か使われていたのが印象的でした。
バンドが対面したとある時期、状況、あるいは振り返ってみたその時間、つまり四季のそれではないスパンを「季節」と呼んでいたのです。
フィッシュマンズには「シーズン」、そして「ロングシーズン」という名曲があり必然的に出て来たのかも知れませんが、何だか「季節」という言葉の新鮮な捉え方だと感じました。
そして・・・もしかするとこの長く続くコロナ禍も「季節」という言葉、ひとつのスパンとして大きく構えるべきなのかも知れないと、今更ながら気づかされました。
もう毎日、毎月の変化で一喜一憂していられないと思うのです。
佐藤さんのいないフィッシュマンズを現在進行形で挑む、ドラムの茂木欣一さん(現、東京スカパラダイスオーケストラ)始め仲間たちの姿に勇気づけられたようにも思います。